30歳 美活男子の東京徒然日記

30歳男子の東京生活日記です。ただの日記ではなく、色々な情報を発信していきたいと思います!

上京前のお話⑮〜帰国の時、新たな決意 終わりなき戦いへ…~

※今回の内容から、僕の心の一番深い部分と関係する内容になっています。文面がかなり感情的になっていますが、感情なしでは語れない部分でもあります。内容も暗く堅苦しいものとなってますが予めご了承下さい…



国家公務員?

へぇ…母が望んだ公務員ってのも色々あるわけだ。各都道府県・市役所の役人、警察官や消防士だけでなく、国税専門官、裁判所事務官、衆参事務局員、あげくに皇室警護官まで…。どうやら自分の思っていた以上に税金で飯を食う連中が多いらしい。しかし、はたしてそんなに多くの職種に分ける必要性があるのだろうか?しかも、ただでさえ多い職種はさらに各職種内で役割を細かく分担されている。少しでも自分の仕事の範疇外ならば、後は役人の慣例に従い他の管轄へのたらい回し。仮にそのことで国民からのクレームがあっても大丈夫。最高法規である日本国憲法を始め、国民主権の下に立法機関によって定められた法律、下位に続く内閣府令や各省令と、彼らの立場や意見を守ってくれる手厚い後ろ盾には事欠かない。縦割り行政万歳とはこのことかと、当時は考えさせられたりもした。そんなバラエティに富んだ役人様の中で、母が私に特に強く望んでいた国家公務員とはなんだろうか?

…なるほど、国家公務員とは地方公務員とは違い文字通り国に雇われている。適用される法律も国家公務員は国家公務員法、地方公務員は地方公務員法と分かれていて、彼らに支払われる給料の財源も違うのか。そしてこの国家公務員は試験区分によって3種類に分けられる。総合職(大卒程度)、一般職(大卒程度、高卒程度)。今はこのような呼称になっているけれど、当時は総合職は国家公務員一種、一般職は二種、三種と、わかりやすく数字で表していた。確か、数字で表すと差別的・序列的なイメージをもたれてしまうとのことで、名称を変更したのだった。…馬鹿らしい。名称なんて上辺だけのものを変えても中身は昔と何一つ変わってないだろうに。

そして、この国家公務員総合職(一種)というのが、いわゆる「官僚」と言われている連中。「キャリア」とも呼ばれていて、将来の中央省庁の中枢を担う「幹部候補」の連中だ。それに対して「ノンキャリ」と全く有難くない呼ばれ方をされているのが、一般職(二・三種)である。

母は常々私が公務員になることを願っていた。どんなに経済が不況であろうとも役人になれば生活の安定が保証される、そのように教えてくれた。なるほど、確かにその通りだ。職場のストレスや対人関係による精神的な不安定さはまた別の話として、生きていくうえで必要な経済的な安定は民間と違って確実に保証される。事実、私が受験を志した時はリーマンショック直後の就職大氷河期時代であった。たいした公職への志望動機もない連中までもが「公務員=安定」という名の甘い蜜を求め、アホみたいに押し寄せてきたのだ。

もちろん、私は役人になる気なんてさらさらなかった。役人が安定した職であろうがあるまいがどうでもよかったし、自分の人生をより安定的なものにしたくて公務員受験を考えているわけではなかった。ただ、彼らのやっていること、それ自体は無視できなかった。「彼ら」というと意味が広すぎるので限定しよう。「官僚」のやっていることが、留学を経て変化を経験した私にはどうしても看過できなかった。彼らは日本の中枢を担っている。立法・司法・行政、三権分立の名の元に各権力機関は互いに抑制し合うことでいずれかに権力が偏ることを防いでいる。なかでも、立法機関は主権者である国民が選んだ代表者をもって行政を統制しうることを許された、いわば選挙権のある国民の総意を担う機関である。なので、本来の力関係は「立法>行政」というのが国民主権国家である我が国の理想の形のはずである。…はずであった。

だが理想と現実は違うもの。このことは後々試験を受けにいく過程の中で私自身が実感していくことになるのだが、国家運営の実質的な担い手はやはり行政、中でも官僚連中に他ならなかった。政治家はあくまでもジェネラリストであり、スペシャリストにはなりえない、それが私の持った印象であった。例えば、国会で繰り広げられる大臣連中の答弁などもほとんど官僚作成の答弁書を読み上げているだけのものと聞いた。一応各省庁のトップにいる大臣らが、部下である官僚連中に自分が国会で使用する資料作成を命じていると考えれば、不自然な事でもない。一般企業においても、上司が会議や取引先との商談の際に使用する必要な資料の作成を部下に命じることは当然の事として行われているからだ。しかし、こと国会における場合、そこに果たして我々の民意が含まれて反映されているかは甚だ疑問ではあるが…。

まぁいずれにせよ、彼ら官僚連中が重要な役割を担っているに間違いない。そしてその役割は、今の私の目的と共通する部分が多かった。私には、留学中に出会った遠い地にいる親友たちとの約束が、そして私の身近にいてくれていた親友たちとの約束もあった。
遠い地にいる親友たちへの約束は「彼らがいつか来日した時、日本は本当に素晴らしい国だと実感してもらえるよう、日本を観光立国にすること」
そして、身近にいてくれた親友たちには「不景気のどん底にいるいまだからこそ(リーマンショック直後の当時)、経済を建て直して少しでも生活しやすい環境を作っていってやる!」という、今となっては大口をたたいた自らのビッグマウスを憎んでしまいたくなるような約束を交わしたのである。

そんな大それた目的や約束を果たすための一番の近道は、彼らと同じ穴のムジナになることだと考えた。そこで、もし役人に対する不満があれば、その点は自分で変えていくしかない。虎穴に入らずんば虎子を得ず、である。かくして、私は国家公務員を受験することに決めた。そしてこの時の決定が今に至るまでの、そしてこの先もずっと続くであろう、いつ終わるか分からない戦いへと導くことになったのである…。

…そんな新たな志を胸に抱くと同時に、悲しいかな、ついに愛する国にさよならを言う時がやってきました。あまりに美しく、あまりに輝いていた留学時代は、あまりに短すぎた。でも、実は帰国の時もそんなに悲しくはなかったんです。スペインを去った時同様にどうせすぐ戻るからって気持ちもありましたが、今までとは違う新たな決意を胸に秘めていたから。

大学教授を目指し、自分の世界にだけ閉じこもろうとしてた留学前の自分が、留学後を経験したことで日本と海外を繋ぐ架け橋のような存在になりたいと強く願うようになりました。自分に力があるならば、その力を少しでもこれから日本に興味を抱き、訪れたいという未知の友人達の為に役立てたい。同時に、これまで気にもとめなかった母国に対する感謝の意を込めて、少しでも日本という国の役に立ちたい…。誤解されるかもしれませんが、私は愛国者でもなんでもありません。ただ、国の為に働けば、それは国民に還元される。それはつまり私の周りにいる家族、友人達、その他今まで支えてきてくれた人みんなに利することができる。ただそう信じてきただけです。

さようなら、ドイツ。ありがとう、遠い国の宝物達!!貴方達との思い出があるから、大変そうだけど戦う勇気が湧いてくる!そして、最初の描いてた道とは大部違うけど、必ずすぐに戻るから!戦いが少し落ち着いたら、すぐに戻るから…