30歳 美活男子の東京徒然日記

30歳男子の東京生活日記です。ただの日記ではなく、色々な情報を発信していきたいと思います!

上京前のお話⑯ ~孤独な戦い ~

楽しかった留学時代。あまりに眩しすぎた留学時代。大好きなヨーロッパ。大切な遠い地の親友達、今となってはもう会えないけど、私の中では今でもずっと当時のまま彼らが親友であることには変わりません。そんな留学の余韻にいつまでも浸りたかったのですが、残念ながらそうもいきませんでした。

留学を終えて帰国したのが2009年7月末。そこから目指す国家一種試験が開かれるのは翌年の2010年5月の上旬。勉強の期間が1年もないし、厳しいことに私は政治、経済、法律も専攻したことがなかった。当時、国1種の一次は一般科目(センター試験で問われるような内容)と専門科目(行政、法律、経済といった、公務員として必要なより専門的な知識)が出題され、受験する公職によりけりですが、私が志望した法律職は名前の通り法律科目が出題されました。法律職を受けた理由は、一番受かる可能性が高かったため。そして、何より大学で専攻していない上記の科目の中では一番自分で勉強出来そうだったから。当時私は暗記が得意な方で、上記専門科目の中では暗記さえすれば点数が稼げそうな法律職が一番良いだろうという考え。

しかし、その考えがいかに甘かったかを実際に受験勉強を初めてすぐに痛感するのです。大学生のセンター科目のような一般科目に加えて、ろくに触れたこともない法律。憲法行政法民法、刑法、会社法、労働法、国際法…うーむ、数えてたらキリがない!まさかこの世の中がこんなにもたくさんの決まり事に縛られているなんてと感心するくらいに法というものは存在するのです。そして、その事実は私に匙を投げさせるには十分すぎるものでした。これは、さすがに独学では無理…。いや、もしかしたら可能かもしれない、でもたくさんの時間を費やす必要がある。当時の私にはそんな余裕はなく、迫る試験までの期間はもう半年とちょっと。とにかく時間がありませんでした。

そんなこんなで母に相談することにしました。母は私が公務員になることを望んでいたので、公務員試験を受験することを決めた時にとても喜んでくれましたし、応援してくれてました。短い期間で効率良く勉強するには予備校に通うのが1番だろうとの私の考えに喜んで同調してくれた。母は決して安くはない予備校代を出してくれました。自分の定期預金を崩してまで…。自分の子どもが自分の望んだものになろうとしている。そのための協力は惜しまない。今思えば、そんな母の想いを私は利用したのかもしれません…。私は公務員、それ自体になりたいわけじゃなかったから。私は私の夢を叶え、そして親友達との約束を果たしたかった。

とまれ、公務員試験を受験することには変わりありません。帰国後、予備校に通い始めた私はとにかく必死に勉強しました。それは孤独な戦いだったのでしょう。当時、世はまさにリーマンショック直後の就職大氷河期時代。内定やるから就活止めなさい、なんて言葉がハラスメント扱いされる今の時代ですが、当時の就活生がそんなありがたい言葉を頂いたならばすぐにでも就活を止めるでしょう。それほどに、今と昔では就活状況が違うのです。さらには今以上に大学在学中に就職するのが当たり前で、私が学生の時は大学3年の夏休みのインターンからすでに就活は始まったようなもので、大学4年になる春の4月から6月の間にはだいたいの学生が就職先を決めていた気がします。多分、4年生の7月になってもまだ決まってなかったら相当遅く、焦らなければならない。

私が留学したのは3年の8月の初め、そして帰国したのは4年のちょうど7月末。つまり私は普通の大学生が就活に励んでいる期間に留学していたのです。だから私は在学中の就職活動を全く経験したことがありませんでした。というか、在学中のそんな早い時期から就活を始めるなんておかしいという世間に対してひねくれた考えを持っていたので、敢えて就活をやらなかったのです。もちろん私が帰国した時に私の同期の学生達はほとんど就職先を決定していました。繰り返しになりますが当時はリーマンショック直後の大氷河期時代。学生が企業を選ぶなんて贅沢な事を出来るのはほんの一部の学生に限られ、ほとんどの学生が彼らの本意とは関係なしに、どこでもいいから何とか内定をもらえた先に就職するのが当たり前。そんなシビアな就活状況にも関わらず、就活期間をぶっ飛ばしてあまつさえ自分が勉強もしたことがないような難関試験に1年足らずで挑もうとした当時の自分は狂っているとしか言いようがないでしょう。とはいえ、一度心に決めたことをやり遂げなければ気が済まない厄介な性格なので、とにかく必死に毎日寝る間を惜しんで勉強しました。就職を決めて取りあえず安堵し、申し訳程度の卒論と卒業旅行の為の資金繰りに悩む幸せな同期達。そんな彼らを余所に私はただひたすら何かに取りつかれたように勉強をしていました。周りの同期が荒れ狂う社会の波に飛び込もうとする一方で、私もまた1人孤独に戦っていました。将来の心配をしている時間さえ今は惜しい…賽は投げられていたのです。

そんな感じで、気づけばあっという間に試験時期が近づいてきました。途中、何度か挫けそうになったり投げ出したくなることもありましたが、何とかモチベーションを維持出来ました。大切な思い出達がずっと私の心を支えてくれました。今思えば大変な日々だったけど、とても幸せな時間だったと言えます。世の中がどんなに不況で、無謀なことは止めろという至極真っ当かつ厳しい意見を私に突きつけようとも、自分の信念に基づきやりたいことを出来た私は幸せでした。さて、もう後悔はない。短期間でやれることはやったんだ。あとは試験本番を待つのみ!

試験前日の夜、勉強はあえてせずに近くの公園のベンチに座りただただ夜空を眺めていました。ただでさえ星などあまり見えない地元の空ですが、その夜はより一層どんよりとした暗闇が夜空を覆っていたのを今でも覚えています…。

つづく